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女性専用車両をめぐる議論の落としどころ

下記記事ははてぶ初心者の自分でもわかる感じで、きれいにまとめられててありがたかった。

anond.hatelabo.jp

 

個人的には現時点での現実解としては、女性専用車両は悪くないんじゃないかと思う。

ただ、現実解と書いたように長期的な視点においてのベストな解とは思ってなく、少なくとも差別意識を感じる人は日本にも少数いるはずだし、海外からくる人の中にはより敏感に感じる人も多いだろうと思う。

 

なぜ差別、あるいは軽視・蔑視と感じる人がいるのかというと、「人を種類や属性で分けているから」だと思う。

極端な例だが、例えばアメリカで電車で痴漢や集団暴力の被害にあう比率が一番高いのが黒人女性だとしよう。

そこで一番被害の割合が多い黒人女性を守るために、黒人女性専用車両を作ったとしよう。もしこのような車両があったとして、日本人が聞いたら多くの人が違和感を感じると思う。それは人を人種や性別などの「種類・属性」で分けているからだろう。

そして、このように種類や属性で分けた場合に、差別を受けていると感じるのは、黒人女性とそれ以外の属性のすべてのタイプの人の両方で起こり得ると思う。

それは、人が差別だと感じるのは「種類や属性で判断されたとき」だと考えるからだ。

 

ここで日本の女性専用車両の問題に戻って考えてみる。

今これが現実解となっているのは、日本人女性でこれを差別と考えている人が極めて少ないからだ。だが、このような車両があることで、女性専用車両に入るべきでない側(男性側)も差別を受けていると感じることに対して、そこまで強い批判は本来すべきできないと思う。

なぜなら差別意識というのは個人的な体験だからだ。

なら、理想的な解は何だろう?

 

 

個人的には下記エントリに出ていた「ケア車両」はいいと思う。

この車両のポイントは女性専用車両と比べて、「人を種類や属性で分けているのではなく、サービス(ケア)の必要有無」で分けているところだと思う。

人は属性分けをされた場合と違って、個人希望によるサービス必要の有無で分けられたときに差別だと感じない。ここが肝だと思う。

もちろん、ケア車両といえども、個人で乗車の是非を決めるわけだし、必要でない人を強制的に退場させることが出来る法的拘束力もないので、そこは監視カメラの設置による抑止力を働かせるといったことになるだろう。

anond.hatelabo.jp

 

法的拘束力を持つ車両を作るというのは、難しいと思う。

だから、抑止力を差別意識が生じることなく働くような車両を作ることが現実的かつ理想的な解であり、将来的な落としどころになるんじゃないだろうか。

もちろん、長期的な課題としては満員電車の解消も当然根本問題として認識する必要がある。ただ、莫大なインフラ投資が必要なことを考えると、呼び名を変えてカメラを設置するにとどめるケア車両の方がまだ手身近な解だと思っている。